マルチバースオブ・マヌル
カオナシエルフ「…………」
虚の森。ここは俗世を疎んだ賢者が行き着く場所。木々は灰に染まり、風すら息をひそめる果ての森。
森の中程にて佇む小柄な女エルフ。彼女の名は魔道元帥サンドラ。仲間を魔族に殺された恨みにより己を限界まで鍛え上げ、遂には魔王を討伐した小さな大賢者。
「サンドラ師匠」
「…………」
魔族を殺して、魔族に与する同胞を殺して、人質にされた同胞も処分して……無情と非情に徹した果ての勝利。勝利の後に残ったのはどうしようもない空虚、それと周囲からの畏怖。隠遁を選ぶのも当然だった。
サンドラが指をクルリと回す。沈殿した落ち葉が静かに渦を巻く。
「ねぇサンドラ師匠」
「………」
次いで指を鳴らす。渦巻く落ち葉が飛散し、その中からテーブルとティーセットが現れた。勿論イスと茶菓子も一緒に。
「師匠ー、師匠ー」
「ちゃんと聞こえてるなの。いらっしゃいなの」
「お邪魔しまーす」
サンドラは来訪してきたマヌル───蒼髪の男の子───に手招きして両者のカップに紅茶を注ぐ。穏やかに立ち昇る湯気。サンドラがフゥと紅茶の表面を吹けば、湯気で出来た使い魔が生まれる。
マヌルはパタパタとこちらへ駆け寄る。椅子に座り紅茶を勢い良く傾け……そしてむせた。
「急ぐからそうなる。もう一人前なんだから、そろそろ落ち着きを身につけろなの」
「ご、ごめん……」
使い魔に介抱させつつ肩を竦めるサンドラ。厳しい口調に反し彼女の瞳は優しく細まっていた。
魔王が倒されてから数百年。最近新たな魔王が出てきたらしく、”マヌル”はその新魔王を討伐する勇者の仲間だったそうだ。
だが生まれつきの呪い故に追放され、マヌルは解呪方法を求めてサンドラに弟子入りした。
「ま、そーゆう所含めてマヌルの個性なの。なのは個性を尊重する先進的エルフなの」
「自分で言うのもアレだけど、それって個性なのかな……」
「ワハハ! 個性なんて他者評価で決まるフワフワ概念なの。気にすんなの」
複雑な表情を浮かべるマヌルの肩を叩き(プルプルと腕を伸ばしながら)、サンドラは笑う。
─────マヌルが生まれつき持つ呪い『忌む眼』。感情が高ぶると発現するその目は、周囲に強い嫌悪感をもたらす。
精神力の強い者や親しい者には効果がなく、それがむしろ持ち主を苦しめる。自分だけでなく周囲も分断してゆく。魔術を極めたサンドラであっても解けない、極めて厄介な呪いだ。
世俗を疎んだサンドラがマヌルの弟子入りを了承したのも、その哀れさ故。しかし今はそれ以外の感情もある。
「師匠」マヌルが口を開く。
「…………どうしたなの?」
「その……いい天気ですね」
「ああ、いい天気なの。灰色の木々も今日は少し色づいて見えるなの」
マヌル、サンドラ、二人して空を見上げた。お互い何を話したいかは解っている。それでも言い出せない。
今日はマヌルが一人前となり、サンドラとの師弟関係が終わる日。
しばし沈黙。二人の胸中にこれまでの記憶が蘇る。
マヌルが初めて弟子入りした日。初めて魔術を使えた日。サンドラがウッカリ自分の右半身を吹っ飛ばした日。キノコを拾い食いしたマヌルが死にかけた日…………全部が全部いい思い出とは行かないが、それでも楽しかった。
「………」
サンドラは空のカップをソーサーに納める。カチン、と区切るような音が鳴った。
「マヌル。今日で免許皆伝なの。覚悟はいいなの?」
「──────ハイ」
こくんと頷くマヌル。サンドラから彼の表情は見えない。
「うん、いい返事なの……それじゃあ、ネネコポンの宝石をこっちによこすなの」
「ハイ」
サンドラはゆっくりと立ち上がり、マヌルから受け取った宝石を指先で撫でた。なぞった跡に残る赤い線。赤い線がひとりでに動いて輪を形成する。
彼女は賢者の石を錬成しようとしていた。賢者の石は『真の魔術師』が魔術の深淵を観測する為のレンズであり、一人前の証でもある。
真の魔術師とタダの魔術師では明確に違う。
普通の魔術師は『ジョブ』という形で生まれつき才能を与えられた者達であり、神の定めたルールに補助を受けて、決められた術を使用する。
対して、真の魔術師は己の魔力と知恵で魔術を御す。不可解不定形な魔術を各々で探究・解釈・分析し、師匠から引き継いだ魔術理論を伸ばしてゆくのだ。伸ばすほどに出来る事が増え、いずれは忌む眼の解除すら出来るかも知れない。
──────だからこそマヌルとサンドラは別れなければならぬ。サンドラの魔術理論において忌む眼の解除は不可能であり、いくら極めようとソレは変わらぬのだから。
これ以上サンドラといても彼女の魔術をそのまま引き継ぐだけ。忌む眼を解くためにはサンドラから離れ、マヌル独自の魔術理論を確立する必要があった。
「世界を支える紙、枠囲むインク。電子に櫂漕ぐ我ら不可思議」
不可解な言葉を連ねるサンドラ。賢者の石に魔力が収束し空間を歪める。初弟子の船出に要らん詠唱までする大盤振る舞い──────それがいけなかった。
賢者の石が明らかにヤバい光を発し、空間にヒビを生じさせる。
「あ、これネネコポンじゃなくてニセネネコポンの宝石なの」サンドラがボソッと呟く。
「…………ニセネネコポンってなんですか?」
「100万匹に1匹だけ現れるニセモノなの。エルフの古文書にしか載ってない存在なの。一言でいうなら『激レア』なの」
「無駄にレアだ。それで、ニセモノだと何が起こるんです?」
「それは──────」
サンドラの喋りを遮るように空間が割れ、割れて出来た穴から無数の人影が飛び出す。ある人影は近くに落ち、ある人影は遠くまで飛んで見えなくなった。全てに共通しているのは──────姿形がマヌルに酷似しているという点。
「平行世界と繋がり、本来の所有者…………つまりマヌルの平行世界バージョンがこの世界に解き放たれるなの」
「じゃあ今飛び出した人影って」
「平行世界のマヌルなの。フツーなら一人二人飛び出して終わりだと古文書にはあったけど、なのが気合入れすぎたからか沢山出て来たの。ほら」
サンドラが飛び出して来た内の一人───黒い覆面を被ったマヌル───を指差す。
「アレを見ろなの。暗殺者マヌルなの。マヌルの中でもかなり強い方なの」
「暗殺者……というか何でそんなこと解るんです?」
「パッと見て来歴を辿るくらい余裕なの」
「おお。じゃあ、あそこの妙に落ち着いた僕は?」
質問を受けたサンドラは小さく首を傾げる。
「む? ……あれはちょっと特殊なの。マヌルに別人格がぶち込まれた存在なの。色々あってSMバーを経営してるみたいなの──────と、まあ平行世界のマヌル紹介はもうイイの。それより大事な話があるなの」
「大事な話?」
「このまま平行世界のマヌル達を放置すると、世界がグッチャグチャになるの。下手したら世界が滅ぶなの。こんなんで世界滅んだら笑えねえの」
脱力気味に肩を竦めて幼びた顔をしかめるサンドラ。彼女はトンと足を踏み鳴らし、周囲の落ち葉を巻き上げ呪符(魔術のこもったお札)に変える。呪符に描かれた環の紋様。蒼く光る紋様は風車の様にゆっくりと回っていた。
マヌルが身を屈めて呪符に顔を近づける。
「空間系の呪符ですか?」
「正解。流石我が弟子なの。弱らせた平行世界のマヌルにこれを貼り付ければ、元の世界へ強制送還できるって寸法なの」
「解決手段があるんですね。それで、師匠は手伝ってくれるんですか?」
「勿論。マヌル一人に任せる訳がないの…………ああそれと、これが解決するまで卒業はお預けなの。ごめんなの」
サンドラがそう言って頭を下げると、マヌルは満面の笑みで応えた。
「ハハッ! 優しくてカワイイ師匠ともっと一緒に居れるなんて、残念で仕方ないですよ」
「………ったく、弁舌よりもまず魔術を磨けなの。つかそーいうセリフは同世代の子に云えなの」
「ほーい」
赤面を隠す師匠、愉快に歩を刻む弟子。二人は世界を救う冒険(自分の尻拭い)を始めるのであった。
以下ダイジェスト
※
始まる冒険!
「見つけました師匠! やっちゃって下さい!」
「ゴメン、無理っぽいの。多分力加減ミスって殺しちゃうなの」
「あー……師匠は手加減下手でしたね。そう言えば」
※
次々現れる敵マヌル!
「見つけたなの! ヌルヌルマヌル、創造神が悪ふざけで作った存在なの」
「哀れだ……」
※
新たな味方!
「どうも、SMバーを経営してるマヌルだ。紛らわしいから呼び名はSMでいい……と、ゴメンな。自分相手だとどうにもタメ口になっちまう」
「……見逃して欲しい、という願いなら聞けないよ」
「逆だ。お前に協力したい。例え他人の世界でも滅んで欲しくはねぇ。勿論俺に賛同するマヌルはかなり居る。
暗殺者マヌル、鼻毛神拳マヌル、船降りろマヌル、サイコマヌル……俺らで徒党を組み、お前に協力させてもらう」
※
第三勢力!
「さァ仕事のお時間だ。今回の目標は最近現れた、マヌルとかいう顔の同じ奴ら。集めてセット売りすりゃ高値になるぜ」
「流石ザガン様! 目の付け所が違うッス!」
「ふん、そうでも……あるな! そう俺はウルトラ奴隷商人!」
「「人狩り行こうぜ! エイエイオー!」」
※
新たな賢者!
「久しいな、サンドラ。100キュビット? 随分と大きな巡りじゃないか?」
「……?」
「下がれマヌル。アイツは月の賢者。理性が飛んでるヤベェ奴なの。
それで……何をしに来た、月の賢者」
「調整」
※
強大化する敵!
「クソ! またサンドラ&マヌルに負けた! 俺はウルトラ奴隷商人なのに!」
「ヤバいッスよ! そろそろ損得分岐点を超えそうッス」
「ああ、そこは大丈夫。趣味で始めた飲食店が大当たりしたからな! ジャンジャン設備投資して腕利きの傭兵も雇うぞ!」
「流石ザガン様! 恐ろしい程の経営センスッス!」
※
苦悩!
「……なんで平行世界のマヌル達が、元の世界に戻されるのを嫌うか解るか?」
「ゴメン、解らない」
「クソ見てぇな人生歩まされてきたからだ。忌む眼のせいで迫害されて、でも別世界ならやり直せるかもって、淡い希望を捨てたくねぇのよ……お前もマヌルだ。心当たりの10や20は有るだろ?」
※
更に苦悩!
『サンドラは手加減が下手。それは何故か? かつての冷酷さが抜けてないからだ』
「黙れなの」
『魔王を殺す為に情を捨ててから、お前の手は血濡れたまま。賢者? 違うお前は復讐者。だからどんな攻撃にも殺意が乗る。お前なんかに育てられる弟子は可哀想─────』
「黙れ!」
『ほぅら、いつもの語尾がもう崩れた。昔の自分を演じてるだけで、本当の自分は違う』
※
決意!
「本当に良いの? ナノの魔術を引き継ぐという事は、それ以外の可能性を閉ざすという事なの。なのの魔術を発展させたってきっと忌む眼は治せない……それでも良いなの?」
「世界の危機にそんな事言ってらんないですよ。
それに師匠、僕は貴女の後継者になりたいんです。貴女の知恵を受け継ぎたい、後世に引き継ぎたい。大賢者サンドラの弟子として」
「はっ……ホントに口の上手い弟子なの」
※
最終決戦!
「覇王マヌル、鬼人マヌル、偽神マヌルめ……魔王と手を組みやがったなの」
「師匠から受け継いだ魔術があっても、少し厳しいですね……」
「待たせたな!」
「SMマヌルさん達! 本当に聖剣を見つけてきたんですね……でも僕らって針しか装備出来ないような」
「大丈夫だ。アイテムとして投げつける事は出来る」
『ザガン財閥、ド級(ドラゴン級)戦略ゴーレム』
『社会正義と』
『奴隷確保のため』
『堂々参上ッス!』
「……また来たんですねあの人達」
「都合良いから放置しとけなの」